Column

vfm
開発者コラム Vector Flow Mapping
2023.08.21

心エコーで心臓の中の渦血流を掘り起こすことを実装したのは13年前、大学院生の最終学年の時だった。当時は計算モデルでしか得られなかった「エネルギー損失」という画期的な指標を、どうにか臨床検査で測る計算式をある時着想し、それをまずは手近なところで当時あったエコーダイナモなるものに適用しようとしたが、ちょうどその頃エコーダイナモの原理そのものに疑義がもたれており、理論的に無矛盾な代替物を作り直す必要があるとされていた。超音波工学の専門家が必ずしも数理理論に長けているわけではないというありがちなことすら、まだ社会も知らず理解できていなかった時分に、僕は後先考える余裕もなくVFM (vector flow mapping)として作り直した。

 

仕上がったVFMは思いがけない神秘的な渦を次々と提示してくれた。それは時として医療者や研究者を魅了するだけでなく、患者さんにも明瞭な画像を提示した。当然の疑問ではあるが、業界からは「どこからどこまでが渦なのか?」「渦はどう移動しているのか?」「よい渦と悪い渦はどう見分けるのか?」と多くの質問がよせられたが、当時は勝手ながら寄せられた疑問の数々を荒唐無稽だとすら僕は感じていた。なぜなら「解析学」である流体力学の主張するところでは『渦』は単なる流れの旋回の特徴を現象論的に言及しただけに過ぎず、その辺縁などを定義するものではおおよそなかったからだった。

 

しかし僕のその浅はかな理解のせいで、目の前にあった天気図のような魅惑的な心臓の渦流にそれ以上の意味を付与させることには至らなかった。当時事業化された超音波VFM (vector flow mapping)では多くの論文が出版されたものの、不義理なことに診療の本質を突く質問の数々に僕はちゃんと答えを見出すことができなかったがゆえに、VFMは現場に根付く技術に落とし込み切れずにいた。

 

その後自分はMRIやCTでの血流解析の三次元化、あるいは拍動を伴う四次元化を事業化しながら、またまさにそれによって救われる多くの命と出会うことにもなった。それはそれで心震える何とも充実した日々で、日々深みを増していった。しかし、その一方で、その昔に答えを見つけないまま放棄した渦の問題たちが心の奥底に引っかかってもいた。そして、そんな気持ちが一人の数学者との出会いにつながった。流れの流線を幾何学で取り組む、という当時の僕の貧相な想像を超える学問があることには心を打たれた。その理論背景には「解析学」と「幾何学」を繋ぐ『指数定理』があり、そんな当たり前のことすら思い至らなかった自分の無知に愕然とした。指数の総和が流れ場の多様体のEuler数になるというゆるぎない主張からすれば『渦』が1個発生するたびに指数が釣り合うようにsaddle (隆線の交差点、potential functionの鞍点)が双対に出現するのはあまりに当たり前だった。自分は双対な物事の半分側に目をつぶっていたのだと知った。

 

しかし、事態は簡単には進まなかった。工業的な流れ場とは異なり、心臓は心筋の運動や心臓弁の運動によって血流が発生するので、心臓渦の周りを激しく動く境界には多重な流れの吸収、発生源があった。いつもいつも、こういう移動境界などの生命現象特有の問題が工業技術を心臓に持ち込む障壁になっており、「またか」とも思った。しかし数学者達の問題解決法は工学者たちのそれとは違っていた。位相幾何学であるがために、この複雑な境界を1点に潰してしまい特異点として扱い、まるで巾着袋のようにエコーの計測断面を球面に落とし込む発案はあまりにスマートだった。しかし実際に画像に当てはめてみると、所々理論とは合わない部分があり、技術的には当初はある種のルールを決めて対処することにした。「そりゃ実測は理論ほどきれいにはいかないだろう」と思っていた。が、それこそが大きな誤解だった。生命や自然を甘く見ていたのだと思う。

 

転機はこれを論文投稿を繰り返していた時に訪れた。つくづく世の中には実にいろんな人がいるのだと痛感する。とある理論物理の論文の査読では、僕らが導入した退化特異点の微分可能性が指摘された。手元のデータに戻って心臓壁境界を無限遠点まで平滑化しながら延長させて縮退させてみると、「なければ困る」と僕らが思っていた特異点が姿を現した。身勝手な我々がなんとも適当なルールでその場の対処を決めていたものが、実は理論的に裏打ちできるものであると知った、というかそうするべきであった。

 

そこからは色々な支援があり、周りに集まってきた優秀な仲間たちのおかげで実装は加速した。その前まではあまりにもワクワクする遊びに生産性を度外視して興じていたつもりだったが、まさか誰が理解するのかもわからないこの遊びに周囲が価値を見出し、一つの仕事になるとは想像もしていなかった。生命現象はあまりに奥深く、時として人類の叡智にそのまま沿ったかのようにあまりに素直に姿を現したかと思えば、時としてまた我々の蓄積してきた知見を思いがけなく裏切る。心臓の渦血流という古来から人類が抱いてきた神秘に一歩だけ近づいた今になり、改めて気づいたことは、人間の心臓の中では非常に激しく渦が暴れまわっており、それはもう80年間以上未だに破られることのない乱流物理の示す結果よりもはるかに激しい(非定常性が強い)乱流であり、渦たちはあまりに急速に飛び散っていく。そこにはおそらく時空を超えた理論があるはずで、きっとそれは美しい明快な言葉で記述されるはずだと確信をしている。

 

関連リンク

JSTプレスリリース「心臓内の「渦血流」を同定する理論を世界に先駆けて構築」
https://www.jst.go.jp/pr/announce/20230818/index.html

Topological Identification of Vortical Flow Structures in the Left Ventricle of the Heart
Takashi Sakajo and Keiichi Itatani
SIAM Journal on Imaging Sciences 2023 16:3, 1491-1519
https://epubs.siam.org/doi/full/10.1137/22M1536923